• 三谷 真治

第13回 流れのままに・・・[English below]

[English below] 初めまして、三谷真治と申します。宜しくお願いいたします。


大工見習い、太鼓打ち見習い、スクラップ業作業員を経て、現在の仕事は公務員。

その傍ら和太鼓を叩き続けて36年。

また、愛媛県松山市にて「心参太鼓(しんさんだいこ)」というアマチュア太鼓チームを運営しております。


父が大工であったことが影響し私は「職人」という言葉・人が無条件で好きです。

子供の頃、現在のような便利な器械が少ない中、カナヅチやノコギリ、ノミやカンナを使って、ほぼ人の手のみで家を造っていく様子を時間を忘れて見入っていました。

じっと観ている私に「手伝え!」と叱られたりもしましたが、「職人」の独特な言葉遣いや造作に対する厳しさ・息遣いを肌身で感じて、半世紀生きた今も「職人」に対する畏怖の念は変わりません。


その意味で、これまでのエッセイストでもある『あ(明)ける。』のメンバーの方々には同様に畏怖の念を抱いているのですが、メンバーでもない私に一成さんから「ゲストとしてエッセイへの寄稿を」とのご依頼を受け、まさに職人技とも言える洗練されたHPの制作者である小久保葉子さんから震える手でバトンを頂戴いたしました。


『あ(明)ける。』では令和2年12月のライブ配信にて和太鼓を担当しました。

物語の進行と共に太鼓を付ける、またライブ配信という公演形態が初めての経験であり、慣れ親しんだ太鼓でありながら、久々に手に汗握る緊張感に包まれました。

この公演のご縁を頂いたのは、ここ数年、私の所属チームを含む愛媛県内の太鼓団体の自主公演開催等でご尽力頂いた阿部一成さんです。


一成さんとは少なからずご縁があると感じており、前稿記述のリチャードさんの「出会いは必然」という言葉に感銘を受けているのですが、太鼓と私について少し綴りたいと思います。


私の住む愛媛県松山市には、1979年に市が町興しを目的として「伊豫之國松山水軍太鼓(いよのくにまつやますいぐんだいこ)」という郷土芸能を創作し現在に至り、園児から社会人まで国籍を問わず沢山の水軍太鼓愛好家が存在しています。

(現在の水軍太鼓の主催は行政から手が離れて民間の「水軍太鼓保存会」が担っています。)

私が中学2年生の時、それまで所属していた「木彫りクラブ」が廃部になってしまい、当時の友達に誘われ仕方なく「水軍太鼓クラブ」に入部しバチを握ったのが現在への出発点となります。

その後、高校、民間チームと所属が変遷しつつもバチを握り続け、ある時、太鼓芸能集団「鼓童」公演を観て衝撃を受けました。

衝撃を受けたのは当時所属していた太鼓チームの会長も同様で、私の同意を得ることなく「鼓童」への入団研修手続を進めて1990年、仕方なく佐渡へ渡ります。

1年の研修期間後、夢叶わず帰郷しましたが、特に失意もなく「ちゃんと働こう。」と思っていたところ、前述の会長の勧めにより現在のライフワークとなっている道後温泉ホテル椿館での定期演奏に参加することになり、仕事と太鼓の生活が始まります。

以降、仕事→太鼓→酒→寝る、といったサイクルを20年を超えて継続することが出来ていますが、この間、沢山のメンバーとの出会いや別れがあったことを思うと、今、このようなことを綴れている私は稀有な幸せ者と思います。


その道後での演奏も2020年3月以降、コロナの影響で一変しました。

ホテル・旅館は社会動向を注視しながら休業・営業再開を繰り返しています。


確たる信念を持たないまま、その時々の流れに抗うことなく太鼓を打つ日々の中で、沢山の方とのご縁を頂いて現在の私が在りますが、この状況下で様々な事柄が削ぎ落とされ淘汰された結果、一つの揺るぎない想いが残っています。


「流れのままに太鼓を打ち続ける。」


美春さんの言葉を拝借すれば、「正しい答え」なのかもしれません。

その答えを胸にご縁のある一成さんを介して『あ(明)ける。』という作品に出会えました。

「出会いは必然」という言葉が、私の中でじわじわと心に浸透してきます。


『あ(明)ける。』の世界観、神々しさ、物語の底辺に流れる普遍の厳しさを内包した清らかさ、私の勝手な主観ですが本当に大好きです。

ライブ配信後の録画配信を何度も観ては涙していました。

今後、どういう形で進化していくのか楽しみですが、この作品のファンの一人として、ずっと愛していきたいと思います。


思いがあふれて言葉が尽きないのですが、最後に、こんな機会を与えてくださった皆様に感謝いたします。

ありがとうございました。


共に太鼓を打ち続けている妻がスマホで撮った一枚。道後の桜と月。桜の手が月を求めているよう。妻と私、どちらが月でどちらが桜か?ご想像にお任せします。


さて、次回は私の尊敬する笛の師でもある阿部一成さんへ、少々息切れしながらバトンをお渡しします。

宜しくお願いいたします。


Message of the Week

Hello, I'm Shinji Mitani, a "Taiko" drummer. Having worked as an apprentice carpenter, apprentice drummer, and scrap metal worker, I am now working as a public officer. For these 36 years, I have been drumming Taiko and now I am organizing "Shinsan Daiko" [Drums of Our Heart] an amateur Taiko drumming troupe. Since my father was a carpenter, I have always been admiring artisans, who create things entirely by hands. I think each member of our "DAWNING." project is an amazing artisan and I was so honoured that I participated the project as a Taiko drummer. Actually it was my first live streaming experience, and more than that, I had never played the Taiko as a way to accompany with the story. It was indeed a very special and unforgettable experience. Well, let me tell you a bit about my story as a Taiko drummer. Matsuyama City, Ehime, where I live, has cultivated local performing arts called Iyo region's traditional “Matsuyama Suigun Daiko”, and numerous people, regardless of age or nationality, enjoy drumming. When I was a second year student of junior high school, I joined "Suigun Daiko" society, which was the very start of my life as a Taiko drummer and I kept on drumming all through my high school days and even after I started working. One day, I was very much impressed by the breathtaking performance of Kodo, Taiko Performing Arts Ensemble, and so was the Chairman of our Taiko Society. He completed application process for Kodo Apprenticeship Programme for me (without telling me anything about that!), and I joined Kodo Apprentice Centre in 1990. Though I could not become a member of Kodo, I went home with my heart fulfilled. When I started job-hunting, the Chairman, again, showed me the way to go; he invited me to join the regular Taiko performance Show at Dogo Hot-spring Hotel Tsubakikan. In this way, my life as a "officer and drummer" started and since then I have been working at office, drumming, having a bit of lovely sake and happily going to bed for more than 20 years. I have lived my life as if I am following the flow of a river, and drumming has always been with me. Through this difficult time in quarantine, with many things eliminated, I feel my life has been simplified and something really important is left in my mind now "Just keep on drumming as I go with the flow"

Lastly, I wish you like the photo taken by my wife, who is a Taiko drummer, too. Look at the way the bough of this cherry tree reaches for the moon! The moon is my wife and the cherry tree is me? or vice versa? I'll leave it to your imagination.

---Shinji Mitani (26, April 2021)

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